November 4th, 2005
増え続けるお友達 Part-II.
入社してからは、仕事が楽しくも忙しくて、音楽活動はほとんど出来なくなった。転勤も多かったし。音楽の血が騒ぎ出したのはアメリカ赴任が決まってからやから、28歳の頃、長いブランクやったけど、音楽溢れるアメリカに赴くことになって興奮していたのを良く覚えている。アメリカではシアトルでもNYCでも、どちらかと言うと自分で演奏するというよりは本場のええ音楽を身体いっぱいに浴びていた。そんなこんなで、シカゴでLouis
Myersさんに出会いメッチャ親しくなって、ワビ助っちゅう最高のハモニカ吹きの友人(彼との出会いはU.S.Storyのシカゴ格闘技編をご覧下さい)に出会い、久々にドロドロのブルースをジャムって遊んだりしていた。もう30歳は過ぎていたような・・・。
その後、アメリカには1996年の秋まで居たのだが、大好きなVillage界隈のSweet
BasilとかVillage VanguardとかBlue NoteとかVisionesと言ったJazz
Clubに毎週のように通って、音楽と言えばJazzを聴くって感じで、プレイすることはなくなっていた。そのボクがライヴを再開するようになったのは、日本に帰国して1年近く経った頃、勤務地の東京
浜松町で気さくな変な店、隠れ家を見つけたからだった。
隠れ家って店は元々は、4-50代のMusician崩れの常連客がカウンターに陣取って、店に置いてあるギターやピアノを気ままに弾いてはお客さん同志が仲良くなってバンドが出来るってな感じの、ひとことで言うとそういうただのバーだった。そこに通い始めて1年後くらいにマスターが「向井、ここをライヴハウスにしようと思うんだ。おまえのブルースは最高だから出てくれよ」ってなことで、しょっぱなからレギュラーで2ヶ月に一度ソロ活動を始めた。多い時で2-30人、少ない時は4人くらいしか入らんかったけど、それはそれで好きなようにライヴをやらせてもらい、学生の頃作ったオリジナル曲も20年ぶりくらいにジワジワ復活させたり、気が付けば新曲もチラホラ出来上がったりと、あれよあれよと言う間に学生時代以上に活動は活発化していった。
そこで知り合った仲間に、今は亡き親友のBuddy高橋ってヤツが居て、一緒にブルースバンドをやったりしていた。そこのギターのあいく植野ってオトコが最高のねちっこい味わい深いリードギターを弾くんでそいつとも仲良くなった。そのあいくが別にプロで活動してるスコーピオンデスファンクっていうバンドが超ゴキゲンだってことで
そのライヴを見に行った。そこでリードヴォーカルやってた女性がRyoko西ちゃん。その表情豊かで太い唄いっぷりに度肝を抜かれて声を掛け、大ファンになってしまった。
そのRyokoちゃんが、今度はあいくと一緒にボクのソロライヴを見る為に隠れ家に来てくれて、ボクの音楽の新鮮さ(彼女にとっては…)に感動してくれて、「どんな音楽聴いてきたの?
」ってな話になり、MDに色々織り込んで送ってあげたら「そういうの一緒にやろうよ」ってことになって、今のBallads
on BLUESってデュオが出来上がった次第。かれこれ3年半近くになる。そのRyokoちゃんの弟子で渋谷のステージを見に来てくれた超若〜い可愛い娘、Kozueちゃんって子とも意気投合してしまい、今度年末に隠れ家で一緒にやる。Kozueちゃんも、ボクにとっては男女を問わず一番年の離れた(26歳も年下やんけ!)、かけがえのない友達だ。
老若男女を問わず、どんどん広がる友達の輪。これは音楽やってるからこその財産であって、こんな楽しい事はありません。音楽に限らず、今はネットで同じ趣味や考え方を分かち合える友達の輪を広げるってことが昔以上に手軽に出来るから、皆さんもどんどんおっくうにならずに声掛け合って、大切な友人を増やしていこうぜ!って感じ。友達増えれば
、そりゃ人生、何より絶対楽しいもんね。